「やば、すげえ強い台風来てるやん、テンション下がる」必要はない

「昔に比べると今って異常な天気が多いよねー」

的な論調をずいぶんと前から耳にする気がする。

 

しかもこれ「だからなんか嫌だよね」っていうニュアンスがこもってるんよね。

天気なんて外的要因の最たるもんだから

それに(一喜)一憂するのは気分の無駄遣いだと私は思うのですよ。

 

まあ、ゲリラ豪雨が絶対に増えたとは私も思うし、

(実際増えてるはずだし)

夏の気温もそれこそ十年前より5度くらいは高くなってる気がする。

 

統計を掘ったわけではないので全部私の感覚なのだが(すみません)、

多分、これは事実なのだろう。

 

でも豪雨にしても酷暑日にしても、

意外と「史上初めて」「戦後初めて」って少ないことも知ってる。

まあ大体が数十年ぶりとかじゃないかなと。

 

そう思うと、異常ってなんなん?って思う。

 

天気予報で煽るなんて意図はメディアには無いだろうけれど、

騒ぎ立てるような、注意をひくような表現をあえてしているっていう面も否定できないんじゃないかな。

 

つまりあんま気にすんなってこと。

雨降るなら傘持てばいいし、やばそうな天気なら安全に過ごせばいいし、

むっちゃ天気よかったらむっちゃ元気に遊んだらいいだけやな。

 

 

選択としての今

このブログのタイトル
「選択としての今」。


生きることは今を過ごし続けることで、
今とは自分の選択した結果だと思う。

今は1秒後には今じゃなくて。

つまり
今がどんどん積み重なったものが人生なんだと思っている。

今何をするかは、自分が自分で選択するのであって、
だから人生は自分が選択した結果なんだよってこと。


「会社だるいなー」
「あいつうざいわー」

とか、会社行かなきゃいいし、あいつに一切会わなければいい。
嫌ならそんな選択しなかったらいい。
なんなら、そう考えるという選択をせずに、前向きに発想を変えるっていう選択をすればいい。

極端に聞こえるけど、自分を追い詰めたいわけじゃなくて、むしろ開放したいんだ。

今を受け止めるんじゃなくて、自分で選びとると思ったら、今に対する感じ方が変わるんじゃないかな。